うるしカラー帯止め

皆さんこんにちは。
平泉町は涼しいですよ。
ここ最近は、様々な伝統工芸の方々からいろいろとお話をする機会が増え
ていました。共通するのはやはり経済的に厳しい状況だということでした。
ただ私が思うのは、経営(お金のこと?)は本当に大事ですが、
一旦置いておいて、本当にお客さんがほしいなぁ~手にしたいなぁ~と
思うものを提供しているのか?作り出しているのか?という根本的なところを考えないといけないのではないかと話しています。
決して私のところも余裕があるわけでもありませんが、なんというか
根本の<魅力ある創造的な商品を作り出していこう>という気構えだけは
大事にしてずっと様々なうるし商品を生み出してきました。
お客さんの好みに合わせたオーダー商品も引き受けて製作してきました。
だって(欲しい~)からはじまるわけじゃないですか!お客さんが(ほしいな!!)と思ってくれて商売が成立するわけです。シビアになればなるほどいらないものは買わないはずですよ。
今の世の中はいっぱいモノがあふれています。その中で自分が製作しているものがお客さんにとって欲しいものになっているのか、常に考えて製作することが一番大事なことだと思っています。
そういう意味で今回新たに<うるしカラー帯止め>を製作しました。
色うるしを混ぜて作り出したその一瞬にしか出せない色を使いながら、手塗りにしか出せない刷毛目も入れて製作しています。

お店に来るお客さんや着物を着る女性の友人にも帯止めの要望が多かったことと、長沼静きもの学院さんがテスト販売していただけるとのことで作ってみました。
この商品の魅力はなんといってもカラーです。

帯止めは昔から製作されているものです。でも盛岡の教室長さんが、黒地に金蒔絵の帯止めしかなくて、欲しいものがないんですと言ったのが本当に衝撃的でした。
これって伝統工芸全般に言えることかもとふっと思ったものです。古典的で伝統ある形の大切さがあるのも事実です。そこから多くのことも学べます。
しかし、そこだけにあぐらをかいて、何百年・何十年も同じ形同じ色同じ模様が通用するはずがありません。生活の様式が変わっていますし、今生きている人の価値観や科学的に作り出された様々なカラーが商品となって売られています。
やはり今現在実際に使っている方の意見を聞かないのはまずいのだと
思います。
この前栃木に住んでいる私の90歳のおばあちゃんが遊びに来ました。
50年以上翁知屋を支えてきて、今は娘のおばさんところにいますが、
翁知屋の今の商品を見て(いろいろやっているなぁ~Good、Good)だと言ってくれました。
私へのアドバイスはただシンプルに、【お客さんに人気のある商品をつくりなさい】でした。何もこの形が伝統だから絶対これしかやってはいけないとかそんなことはないんだと、言われてうれしくなりました。
面白かったのは、当時のおじいさんの話を聞いたとき、おじいさんも木のワイングラスを作りたかったんだそうです。木地まで起こしたのに、職人さんに塗りたくないと断られてしまったそうです。おじいさんも仙台の国立漆芸所を出ているので塗れないことはないのですが、量産体制をとるのに職人さんにそっぽを向かれたら商品にならなかったのでした。
その話をしたおばあさんが、私のOKINAシリーズ(ウッドグラスシリーズ)を見ながら、もっと早く生まれてきてよ!!と言ってきて、笑っちゃいました。おじいさんも東京や全国の各産地を回りながら、次の商品アイデアを探していて、それが時代を経て、私と一緒の発想だった事に驚きとある種のうれしさを感じました。
私が18歳のときにおじいさんは亡くなりましたので、工芸の話はしたことはありませんが、全国に行くとおじいさんの話しを今でもしてくれる人がかなりいて、岩手の片田舎からすごい影響力を出していたんだなぁ~と毎回うれしく思っています。
すごく話が脱線しましたが、この帯止めもお客さんにとって『欲しい!』
商品になるようにもっともっと洗練させていきたいと思います。
表面はメチャクチャ磨きをかけています。


最後に<写真どうしてるの??>とよく聞かれますので、今回はこんな感じで撮りました。大体外か明るい場所で撮っています。

それではまたまた。

投稿者プロフィール

翁知屋 5代目 佐々木 優弥
翁知屋 5代目 佐々木 優弥
昭和53年6月17日生まれ
岩手県平泉町にて伝統工芸「秀衡塗」の製造販売。
天皇皇后両陛下の御用食器一式や皇太子殿下献上品、伊勢志摩サミットG7各国首脳の贈呈品に採用、国内外のデザイナーとの創作品も手掛けグッドデザイン賞も獲得するなど高い評価を受けている。

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