8月も終わり(今月は人と話す機会が多かった)

皆さんこんにちは。
8月も終わりです。花巻東甲子園ベスト4すばらしかったです。
それにしても甲子園を優勝するのは、ベンチを含めた全員の総力がそろっていないとなかなか大変なんだとあらためて思いました。
各県を勝ち抜いたチームがさらに頂点を本気で目指すわけですから、
それぞれ生半可なチームではないわけですよね。
さて今月は人と話す機会が多かった月でした。普段のお客様以外でデザイナーや岩手県の方が連れてくるお客様や有名百貨店のバイヤーや大学の同級生やら様々な方々がはるばる小さなお店にお越しいただいて色々と楽しいお話をすることができました。
その度に平泉を案内して、改めて平泉の歴史の背景や重み、数々の遺跡のすばらしさや意味を一緒に勉強できました。
イタリア在住のデザイナーの富田さんは金色堂を初めてご覧になったようで、この平泉の精神のかたまりのようなすごく神聖で思いの詰まったものに見えるとおっしゃっていました。螺鈿などの装飾はどこか日本のものではなくて、ペルシャとかの装飾に近いものを感じると言っていました。
また、今まで平泉に大学時代の友人が時期バラバラで4人ほどきているのですが、共通しているのが、みなさん彼女と別れた直後でした。
平泉町を観光して、緑と空気の美しさに癒され、おいしい前沢牛食べて、温泉にゆっくりつかり、お酒を飲みながらじっくりと話をして帰っていく感じです。
まるで傷心の源義経が藤原秀衡を頼って元気を取り戻すような雰囲気が、今も平泉にはあるんでしょうかね。
そういえば初代藤原清衡が前九年・後三年の役で、父親が殺されたり、異父兄弟と戦をしなければならなかった歴史から、すべての人や動物や生けるものを供養し、平和な理想郷の世界を創造して作ったのが中尊寺ですから、通じるものがあるのかもしれません。
<別れた傷心を癒しにくる>なんかそれも平泉らしくていいと毎回思っています。
精神的に弱っている方、ぜひ平泉に来て癒されてください。中尊寺や金色堂でお祈りをし、精神を安心させて、歩きつかれたら一面芝生と池になっている観自在王院庭園でボーっと昼寝をするのもいいですよ。私もたまにデザインやアイデアに行き詰ったとき、いすに座ってボーっとしています。
毛越寺の庭園をゆっくり歩くのもいいです。単に庭園や池といっても、当時の一流の庭師が製作したものですから、ゆるやかなカーブで造られた池に、木々の配置がすばらしいですよ。
また義経が居住し最後自害したと伝えられる高舘で、芭蕉の気分を味わうのも最高です。階段を登りきったときに広がる束稲山と北上川に心が奪われます。
そして石碑に目をやると芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだ句が300年以上経った今も素直に心にひびきます。芭蕉が平泉を訪れたのが平泉の100年の栄華が滅んでから500年後の平泉。歴史の重みを感じます。
眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様を眺めた芭蕉が、100年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経公を思い、もののあわれ(平安時代の美的理念の表現)を詠みあげた句に共鳴できる私の一押しお薦めスポットです。
時々鎌倉からの観光客が平泉を訪れたときに聞かれるのが、「平泉の人は今も鎌倉に恨みがありますかね~」なんか言われます。そういう気持ちは全くなくて、戦の世の中で繁栄や衰退はそれぞれの時代に当たり前にあり、鎌倉幕府・北条氏も戦があり、150年後に滅んでしまうわけですから。
それにもしかすると当時の平泉の住民は滅ぼされたり、秋田や青森や山形に逃げて、1000年以上前から代々平泉に住んでいる人は今は少なくて、鎌倉から移り住んだ人の子孫かもしれませんし、なによりもすべてのものを分け隔てなく供養し尊重するすばらしい浄土思想が平泉にはあるわけですから。
平泉は歴史観やそれぞれの日本史の登場人物の思いなどと絡めながら、じっくりと堪能していただきたい場所です。
ぜひお越し下さいませ。
今日は総選挙日。まさに時代の変わりめになる大切な日かもしれません。
それではまたまた。

投稿者プロフィール

翁知屋 5代目 佐々木 優弥
翁知屋 5代目 佐々木 優弥
昭和53年6月17日生まれ
岩手県平泉町にて伝統工芸「秀衡塗」の製造販売。
天皇皇后両陛下の御用食器一式や皇太子殿下献上品、伊勢志摩サミットG7各国首脳の贈呈品に採用、国内外のデザイナーとの創作品も手掛けグッドデザイン賞も獲得するなど高い評価を受けている。

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